「日常」と「無関心」の間

TL; DR

社会的立場や環境が大きく変わると、それまでの人間関係が断絶することってあるよね、という話。

やや長いめの補足

「人間関係の距離感覚」という概念を導入すると、この話を少し認識しやすくなるように思う。

人が他人との関係性で認識できる距離の限界を仮に『1km』としよう。
実世界においては、目の良い人なら見えるかな、ぐらいの距離だ。

『1km』の外に行った人は、自分にとって「無関心」という扱いとする。

進学、就職・転職、結婚、引っ越しなどのイベントによって、自身の社会的立場や生活環境の変化に伴い、周囲の人間関係も大きく変化することがある。
それによって、自分の『100m』以内にいる、「日常」生活の中で接する人々がガラリと入れ替わる、ということが起こり得る。

その変わりたてのときに、新しい人間関係の構築にかかりきりになってしまうのは、まあ仕方のない話かもしれない。

だがそれによって、今まで『100m』以内にいた人たちが、気づいたらいつの間にか『1km』圏外に行ってしまっていた、ということが往々にして起こりがちなのではないだろうか。

……というか、筆者個人の体験として、しばしば起こってきた。

それに関して、筆者自身、反省と後悔の念はある。

もちろん、人と人との関係は双方向のものだから、それについて筆者だけが悪い、ということもないのかもしれない。
むしろ、相手から繫ぎ留めてもらえなかったことを嘆くべきなのかもしれない。

それを「結局、その程度の関係だったんだ」と諦めて切り捨ててしまうことは容易い。

しかし、それでいいんだろうか。

『100m』以内に留めておくことが難しくても、自分が少し努力すれば『200〜300m』ぐらいの距離は維持できる(できた)かもしれない。

それまで仲がよかった人に対して、環境が変わったからといって、「はい、さよなら」と、『1km』圏外に追いやってしまうのは、悲しいことではないだろうか。
それを意図的、または自覚的に行うのならまだしも、無自覚の内にやってしまう(しまった)としたら、どうにか手を打って挽回したいものだ。

『100m』以内の「日常」接する人たちと、『1km』圏外の「無関心」領域の人たちとの間を、別の関係性の人たちで埋めることはきっとできるだろうと思うのだ。


この記事は、しずかなインターネットに書いた下書きを元に、推敲して書きました。