「わかり過ぎるのも相手を大事にしたことにはならない。説明もはしたない」

出処不明の言葉

表題の言葉は、筆者が学生の頃――つまり、ゥン十年前に出会った言葉だったように覚えているが、出処がはっきりしない。
教員の誰かが言っていたのだったか、何かの本で読んだのだったか……。

誰か、もし出典がわかる方がいらっしゃれば教えていただきたい(緩募)。

頭を悩ませるパラドックス

この言葉は、「急がば回れ」「負けるが勝ち」のような逆説的な響きを持っている。

筆者はこの言葉を知った当初、「え、なんでだ??」とやや混乱したような覚えがある。
ふつう、相手を理解することは相手を大事にすることに通じると思うので、直観に逆らうところがあるかと思う。

また、後半部の「説明もはしたない」については、長らく解釈不能のまま時が経っていた。

私がこの言葉を覚えているのは、このように難解な言葉だったから、という理由が大きい。

解釈に至るまで

「だいたいこんな意味かな」と思ったのがいつ頃だったかも定かではないが、たぶん年単位の時間は経った後だと思う。
そこには、ちょっとした〝アハ体験〟もあったかと思う。

今回、この記事を書くにあたって改めてこの言葉と向き合い、ようやく後半部も含めた一通りの解釈をすることができた。
ただし、先述の通り出典がわからないので、正しい解釈であると保証することはできない。

たぶんこういう意味

以降で、私なりの解釈を述べる。

表題の言葉は、人と人とのコミュニケーションにおける2つの落とし穴を示していると思う。
第一の落とし穴は「わかり過ぎて相手を蔑ろにしてしまうこと」。これがメインの陥穽だ。
第二の落とし穴は、第一のそれに付随して、「余計な説明をしてしまうこと」だ。

なお、筆者は対人コミュニケーションに関してはハウツー本を少し読んだことがある程度の素人であり、自分のことをどちらかといえばコミュ障だと思っている(石を投げないでください🙏)。

ドラゴンボールZを例に考える

ここからは、先日永眠された故・鳥山明先生に敬意と哀悼を表してドラゴンボールZを例に取って考えよう。
ここで、あなたは小さなお子さんがいる親だと仮定する。

サイヤ人編のアニメを観たお子さんはピッコロ大魔王(2代目)のファンになり、興奮してあなたに話し聞かせるのだ。

「ママ(パパ)、あのね。ピッコロってすごいカッコイイんだよ! 元々は悟空の敵だったんだけど、サイヤ人をやっつけるために一緒に戦ってくれるんだ!」

あなたがお子さんにどのように応対するか、という状況設定で、表題の言葉の意味を考えていこう。

前提として、あなたはドラゴンボールのストーリーに慣れ親しんでおり、サイヤ人編含め、ストーリーを鮮明に覚えているものとする。

(※ドラゴンボールを未履修の方には、わかりにくい例となって申し訳ないが、これを機に履修することをオススメする。)

1️⃣ グッド・コミュニケーション

最初の例は、2つの落とし穴を回避した良いコミュニケーションの例だ。

この場であなたに求められていることは、お子さんがどのシーンにどのような感動を覚えたのかに注意を払い、お子さん自身の言葉を引き出すことだ。

たぶん、こんな感じで相槌を打つのが良いのではないか。

「へ〜、そんなにカッコイイんだ!」

きっとお子さんは、「うんうん」と肯いて、ピッコロがいかにカッコイイかを実演を交えながら熱弁してくれるだろう。

あなたはしっかりお子さんに体と顔を向けて、ときどき「ええ、そんなに!?」とか驚きながら、ニコニコして話を聴いていれば良い。

2️⃣ わかり過ぎた場合

2つ目の例は、第一の落とし穴に嵌ってしまったケースだ。

「ママ(パパ)、あのね。ピッコロってすごいカッコイイんだよ!」

この場合、先のお子さんのセリフに対して、食い気味に反応してしまうかもしれない。
例えば、以下のような具合だ。

「そうよね! あなたなら、きっとピッコロの魅力に気づくと思ってたわ」
「え、ママもピッコロのこと知ってるの?」
「もちろん! ドラゴンボールで一番好きなキャラよ!」
「へ〜、そうなんだ」

1️⃣ との違いがおわかり頂けるだろうか。

お子さんの言葉に早く反応し過ぎて、お子さんの言葉を引き出せていないのである。

お子さんと好きなものを共有できるという点では、それほどネガティブには感じられないかもしれない。

でもお子さんにとっては、 1️⃣ の場合のように伸び伸びと話せなかったことで、少し心にモヤモヤが生じるかもしれない。

上のような食い気味の反応でなかったとしても、以下のような応対もこの落とし穴に嵌った例と言えるだろう。

「わかるわかる。ピッコロね。魔貫光殺砲よね」

つまり、「よく知ってるから別に話さなくてもいいよ」のようなメッセージを出す態度だ。
興奮したお子さんはそんな態度は気にせず話を続けてくれるかもしれないが、あなたはお子さんよりも低いテンションでそれを聞く形になってしまいそうだ。

3️⃣ はしたない説明

最後の例は、第一の落とし穴に加えて、第二の落とし穴にも嵌ってしまうケースだ。

「ママ(パパ)、あのね。ピッコロってすごいカッコイイんだよ!」

お子さんのこの言葉を聞いたあなたは共感し、つい色々と喋ってしまう。

「わかる! 魔貫光殺砲とかカッコイイよね! あれで悟空もろともラディッツを倒すのよね。あのシーンは衝撃だったわぁ……」

あなたがそんな風に話してしまったら、お子さんはきっと憤慨して次のように言うのではないか。

「もうママ! いま僕が言おうと思ったのに!」

2️⃣ 3️⃣ の補足

以上で示してきた例は少し極端で、かつ、子供っぽい事例だと思われたかもしれない。
……が、これを例えば友達同士の打ち明け話だとか、職場での個人面談などに置き換えても、同じようなことが言えるのではないだろうか。

目の前の相手の言動そのものに向き合う

コミュニケーションにおいて、相手に理解を示すことは大事なことだ。
しかし、それは基本的には、目の前の相手の言動に対してあるべきだ、と思う。

また別の例を挙げる。
あなたが年長者で、あなたに相談を持ち込んだ若者が、昔の自分と同じようなことで悩んでいたとしよう。
そうした場合に、「それってこういうことだろう」と言ってロクに話を聞こうとしなかったら、たとえその推察が正しかったとしても、相手は蔑ろにされたように感じるだろう。
これも、第一、ひいては第二の落とし穴に嵌った例と言えそうだ。

ツーカーは駄目なのか?

「つう」といえば「かあ」のような関係も1つの理想形ではあるだろう。
しかし、それは熟年夫婦のようなごく限られた特別な関係で成立するものだろう。

上の例ほど極端でなかったとしても、あなたの理解力・察し力が高いからといって、それほど近しくもない相手にそのパワーを発揮することはリスクになり得ると思う。
例えば、相手があなたに通常果たすべき説明の義務を怠り、暗黙の理解を要求するようなリスク。これは言うなれば、「理解の搾取」だ。
またあるいは、その相手があなた以外の他者にもあなたと同じレベルの理解を求め、周囲との間に摩擦を生むリスクもあるかもしれない。

行き過ぎた理解は、行き過ぎた配慮にも通じるように思う。
いずれも、かえって相手を駄目にしてしまう、という側面があるのではないか。

別の言葉として、「親しき仲にも礼儀あり」ということわざもある。
たとえ親しい人の内心がわかったとしても、言われなかった言葉は言われなかったものとして扱うのは、正しい配慮だと思う。

例外: 許されそうなケース

蛇足かもしれないが、「わかり過ぎ」たり「(はしたない)説明」が許されそうなケースもあるかもしれない、と思った。

それは、ビジネス上のコミュニケーションなどで、とにかく問題解決が優先されるシチュエーションだ。
この場合、話し手よりも聞き手の言語化能力が高いとしたら、話し手の断片的な言葉を拾って、察し力・理解力を最大限に発揮し、話し手の言いたいことを話し手自身より上手く言語化することが可能なこともあるだろう。

それは問題を前に進める際に役に立ちそうだ。

まとめ

最後に、これまで述べてきた私なりの解釈のまとめを示す。

表題の言葉は、人と人とのコミュニケーションにおける2つの落とし穴を示していると考えている。
第一の落とし穴は「わかり過ぎて相手を蔑ろにしてしまうこと」。これがメインの陥穽だ。
第二の落とし穴は、第一のそれに付随して、「余計な説明をしてしまうこと」だ。

たとえ相手の言外の心情・事情を深く察せられる立場にいるとしても、それを前提とした言動を相手に示してしまうことは、かえって相手の期待を裏切ったり、相手を傷つけることにつながりかねない。
時としてそれが求められるケースもあるかもしれないが、原則的には、目の前の相手の言動をあるがままに受け止めることを第一とするのが良いだろう。
もしも相手の言外の心情・事情に踏み込む際には、それ相応の配慮をすべきだと思う。