人の間の物理的な距離と心理的な距離

「距離感」=「心理的な距離」

さて、最近書いた2つのエントリでは、人間関係における「距離感」に関しての私見を述べた。

これらの記事で述べた「距離感」というものは、現実世界の目に見える距離とは異なり、実体のないものだ。
いわば、「心理的な距離」だということができるだろう。

〝近い〟あるいは〝遠い〟と感じるかどうか、そして、それがどの程度かという問題だ。

「物理的な距離」

狭義

これに対して、現実世界で直接観測できる、目に見える距離感を「物理的な距離」と言えるだろう。

ある瞬間を切り取ったときに、近くにいるかどうかということだ。

本稿では、これを〝狭義〟の「物理的な距離」と呼ばせてほしい。

広義

私が考える「物理的な距離」は、みなさんがぱっと思いつく意味合いよりやや広めだろうと思う。

生活を同一にしている者や、職場の同僚でよく一緒に仕事をするような間柄も、「物理的な距離」が近いと言って差し支えないのではないだろうか。

これは〝狭義〟の「物理的な距離」に、接触時間、あるいは接触機会の概念を加えた概念になる。

これを〝広義〟の「物理的な距離」としよう。

例えば、マンションで隣の部屋に住む住人とは〝狭義〟の「物理的な距離」は近いだろう。
しかし、その隣人と一度も話したことがないならば、〝広義〟の「物理的な距離」としては近いとは言えない。
きっと、「心理的な距離」も遠いだろう。

これに対して、住所が遠く職場も異なるが、例えばサークルの会合で週に一度定期的に会うとか、そういった間柄であれば、〝狭義〟の「物理的な距離」が近いのはそのときだけだろうが、〝広義〟の「物理的な距離」も比較的近いと言えそうだと思う。

ここまでの話は、みなさんの多くにも受け入れられるのではないか、と期待する。

広々義*1

上の考えを更に発展させて、オンライン上での交流の機会も含めた概念までもひっくるめて、より広い意味での「物理的な距離」としたい。

オフラインで実際に会う機会は滅多にないが、ビデオ通話や普通の電話、電子メールやSNSといったオンライン上ではよくやりとりをしている、というケースを考える。
その人達は「心理的な距離」も近いだろうし、オンライン上でのやりとりはそれが現実に表出した形だと言えるだろう。

2つの「距離感」をすり合わせること

さて、最近の私が大事なのではないかと思っていることは、この「物理的な距離」と「心理的な距離」をなるべく近づけることである。

逆に、それが乖離した状態というのは、例えば次のようなことだ。

  • 嫌いな相手とずっと一緒にいなければならない
  • 親友だと思っている相手と、もう何年も連絡を取っていない

なんとなく、これは健全ではない感じがする。

冒頭に挙げた記事の1つ、〝「日常」と「無関心」の間〟では、進学、就職・転職、結婚、引っ越しなどといった人生の転機における人間関係の変化について触れた。
これは本稿で定義した言葉を用いて、「周囲の人々との『物理的な距離』の変化に伴って、『心理的な距離』にも変化が起こる」と述べることが可能だと考える。

家族、クラスメート、部活仲間、職場の同僚、……。我々の人間関係のベースになるのは、まずは「物理的な距離」の近さに由来するものが多いだろうと考えられる。

それが、先の記事で述べたように、ライフステージの変化などのイベントで疎遠になったり、断絶してしまうことがある。

心理的な距離」は近かったのに、「物理的な距離」を引き離されてしまったがために、最終的に「心理的な距離」も遠ざかってしまう――そんな風に類型化することができそうだ。

そんな事態を防ぐには、単純になんらかの形で交流を続けることが一番だろう。
距離的に離れてしまって、直接会うことが難しいという場合でも、今の時代なら色々とコミュニケーションの手立てはある。
そういった形で広い意味での「物理的な距離」を維持していれば、「心理的な距離」も維持できるように思う。


この記事は、しずかなインターネットに書いた下書きを元に、文章構成を見直して書きました。

*1:そんな日本語はない。つまり、これは造語である。