「自分磨き」について

「自分磨き」という言葉がある。

人生の早い内から自分を適切に磨いて高めて行けるとしたら、それは恵まれた、おそらくは幸いなことだろう。

それには才能だけではなく、環境も大事な要因だろうと思う。
例えば、特別に優れたものでなかったとしても、まともな教育を受けられる環境にあったことは幸いだったと思う。
勉強以外についてはどうだろうか。
例えば、大谷翔平羽生結弦といったプロスポーツ選手が青年期から世間を賑わすほどの活躍を見せているのは、彼ら自身の才能や努力と周囲の環境が噛み合っていたからではないかと思う。

そうではなく、野に咲く花のように埋没してしまった者にとっては(それの良し悪しはさておき)、どれか1つ以上が揃わなかったと言えるのかなと思う。

どんな分野でも、適切な師を見つけるか、学習・修得のための環境が整っていない限り、自らを適切な方法で高めていくことは手探りにならざるを得ないだろう。
もし、大谷選手や羽生選手の指導者がトンデモな人達だったら、それでも彼らは開花したかもしれないが、やはりそれは大きなハードルになっただろうと思う。

私ももう「中年」と言われる年齢だ。
この歳になってようやく、「こうなりたい」と思ったときに、最善手でなくとも、それなりの方法で無理なく取り組めるようになったような気がしないでもない。(様々な分野で情報を得る手段として、インターネットは大いに役立っている)

若い頃の自分の不器用さ加減を思うに、それが上手くできない場合というのは、努力が長続きしなかったり、1つのことだけにかまけて他が疎かになったり、磨こうとしてかえって駄目にしてしまったり、そもそも正しいやり方がわからず見当違いのことをやっていたり、ということが往々にしてあるように思う。

歳を取ってからは、手が届きそうな高みに必要な努力の量もなんとなくわかるようになった。
それと同時に、自分の限界を悟ることもある。

どれだけ努力しても、若かった頃に戻ることはできない。

だから、冒頭に記した通り、人生の早い内から自分を適切に磨いて高めて行けるとしたら、それは恵まれた、幸いなことだろうと思うのだ。