はじめに
2020年の東京オリンピックに向けたサマータイム導入の是非について、主にIT業界を中心に(?)世論が白熱する今日この頃。
私のタイムラインに、こんなツイートが飛び込んできた。
サマータイムの議論を見て最近思うのは、世界中みんなUTCで暮らすのもアリなんじゃないかということ。元号をやめて西暦で統一しようとする流れと似たものを感じる。勿論すぐには無理だけど、日本時間(UTC)という併記で徐々に慣れつつ、数十年後には、、という案。
— 坂井 恵(SAKAI Kei) (@sakaik) 2018年9月2日
正直、目から鱗だった。
サマータイムを止めるかどうかの議論の前に、そもそも時差の概念をなくしてしまう。
――例えるならば、争いにどう勝つかを考えるのではなく、争いそのものをなくしてしまう。
そんな発想の転換を感じた。
直観的にこれは筋が良さそうなアイディアだと思ったのだけど、だからこそ想定され得る懸念は排除するか、議論を深めておきたい。
そんな意味合いもあってこのエントリを書いている。
そもそも、UTCとは
このブログを読む9割の人には説明不要だと思うのだけど、念のため補足しておくと、「協定世界時*1」と呼ばれる時刻系のことだ。
「グリニッジ標準時(GMT)*2」や「世界標準時」と言った方がピンと来るという人もいるだろうか。
これらは等価な時刻系で、世界各地の標準時の基準となっている。
UTCを採用したらどうなるの?
UTCは今の日本標準時(JST)に対して9時間遅れている。
ので、もし日本がUTCを標準時として採用した場合、数字の上では今より9時間早く生活する形になる。
会社員が出勤するのはAM0:00頃、ランチタイムはAM3:00、サザエさんが始まるのはAM9:30といった具合である。
UTCトライ:ちなみに「今日」の日の出は、昨日の(笑)20:13、日の入りは 9:08。20時頃から9時頃までが昼間、という感覚になるわけですね。おひる(?)ごはんは3時頃。
— 坂井 恵(SAKAI Kei) (@sakaik) 2018年9月2日
この@sakaikさんは少しの間「UTCトライ」と称してUTC時間での生活を試みたようだ。
UTCトライ:10時まわったし、おなかすいてきたし、夜ごはんにしよう。(和刻は +0900した状態のままのほうがいい気もしてきた。つまり、3時が正午。15時が正子)
— 坂井 恵(SAKAI Kei) (@sakaik) 2018年9月2日
UTCトライ:あぁもう14時回ったし、明日朝はやいし、そろそろ整理に入って寝る方向に向かっていかないと・・・
— 坂井 恵(SAKAI Kei) (@sakaik) 2018年9月2日
…正直、今のところ全然ピンと来ないけど、慣れたら普通になるだろう。…きっと。
予想される懸念
移行時に混乱があることは当然考えられる。
他に何があるだろうか?
パッと思いついたのは、以下のようなものだった。
面白い発想だけど、健康に悪影響はないだろうか? 慣れの問題かなぁ。
— progrhyme (@progrhyme) 2018年9月2日
あと、「こっちは今深夜2時よ」みたいな言い方が通じなくなるわけだが、単に「深夜だよ」と伝えることになるのか。不便なこともあるかも。「17:00(+9)」みたいに時差を意識させる必要があるとしたら、争いは解決しないな。。
これに対しては、次のようなリプライを頂いた。
暦が変わって二十四節季がいまではほとんど失われてしまったのと同じようなことになるんじゃないかと思います
— すぎむら45 (@SugiTK) 2018年9月2日
確かに。
なるほど。よく考えてみれば不定時法を使ってた時代よりは遥かにちゃんとしてるわけで、慣れれば行けそうな気がしてきました。
— progrhyme (@progrhyme) 2018年9月2日
「時差」という概念を発明してしまったことが人類にとって失敗だったかもしれませんね(大げさ)
この程度なら、大した懸念ではないかな、と思った。
追記
Facebookで下のような指摘を受けた。
「今日」っていう概念が日が昇って沈むまでを前提にしてるものとか、正午≒南中を前提にしてるものの方に不整合が出てきますよねー。「今晩」が日付としては明日になる地域では時差以上の混乱かも
これも確かにありそうだけど、上の私のツイートのように現在の常識を前提にした考えとも言えそうだ。
UTC時間での生活が当たり前になれば、自然に概念が変化していくのではないだろうか。
考えられるメリット
時差に関する諸問題がなくなるというのが最大のメリットだ。
時差に関する問題は枚挙に暇がない。
いくつか例を挙げよう:
- ニューヨークと東京にいる人同士で電話会議をする場合。「8時に」と言ってもどちらのタイムゾーンでの話か、朝か夜か誤解があるかもしれない。
- アメリカへの出張から帰って来る場合。9/12に帰って来るつもりが、日付変更線を越えるので9/13になってしまった。(いや、普通はちゃんと計画するだろうけど、考慮が必要だということ。)
- 時差のある国に旅行に行くと
iPhoneや腕時計の時刻を合わせなければならない。(iPhoneは勝手に合う。むしろ日本時間のままにしておきたい時に不便か) - イリノイ州からインディアナ州に車で出かけると1時間時刻が進む。
- タイムゾーンを導入している地域から導入していない地域に移動すると時間が戻る。
- ワールドワイドな期間限定のキャンペーンを実施するとき、ローカルタイムを考慮する必要がある。
たぶん、私よりも時差について日常的に頭を悩ませている人はもっと色々思いつくと思う。
どちらかというと、アメリカやロシアのように1つの国の中に複数のタイムゾーンを抱えている国の方が、UTCへの統一による恩恵が大きいのではないだろうか。
本来的には、時差というのは1時間や30分の単位で区切られるものではなく、経度に沿って切れ目なく変化するものだ。
ある地点から別の地点に移動したらいきなり時刻がジャンプするより、ずっと共通のUTCを使う方が、よほどわかりやすそうだ。
また、コンピュータが時差やサマータイムを考慮しなくて良くなるというのも大きなメリットだ。
プログラマは時差を考慮する必要がなくなるので、浮いた工数を他に回すことができるようになるだろう。
まとめ
以上、自分が思いついたわけではないけど、世界からタイムゾーンを取っ払って、みんな1つの時刻系で生活するというアイディアを紹介した。
サマータイムがきっかけではあるけど、サマータイムが今後世界からなくなったとしても、更に時差をなくすことにも意味が有って、良い考えだと思う。
「いいじゃん、これ」と思った方は、時計をUTCにして、時差のない世界へ旅立ちましょう。
参考
少しだけぐぐったら次のような2011年のエントリを見つけた。
元記事は海外のものだが、同じことを考える人はいるものだ。